実践とかけ離れた精神分析は、臨床理論としての実質を欠いている。その場合「精神分析はなんぼのものか」と言えば、それは見掛け倒しであり、外出用の衣装の一つに過ぎない。著者が英国タビストック・クリニックで出会った精神分析は,日常と密接にかかわり、生きることそのものに根ざし、普遍的な魅力を持つ実践であった。精神分析はフロイト以来大きく姿を変えつつある。既存の実践や理論のあるものは、時代とともになくなる運命にあるのだろう。しかし、それらが消滅しても、情動経験の中に自ら没入し、内省するという精神分析の「実質」は、揺るぎないのである。気鋭の臨床家が臨床実践から一歩離れた地点で、心の臨床家の専門性を支えるものとしての精神分析の実質を熱く論じる。